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2018-06-16 (Sat)
今日は心の叫びなので、ブルーです・・・
スルーしてくださいm(__)m




まだまだ終わらない障害年金
やっと申立書を郵送で提出し、やれやれと思ったのもつかの間。
またまた不安の嵐に飲み込まれる事態に。


数日後年金事務所から<受付控>が送られてきた。
そしてそこに短い手紙が同封されていた。

「追加で書類のご提供等お願いすることがあると思われます。」

“あると思われる”――!!

まだ何かあるの!?
私にこれ以上どうしろっていうの!?
申立書2通を手に入れるだけでどれだけ憔悴したか。

もうヤダ。

もうヤダ。

もうヤダ~ッ!


まだ先方から書類提供依頼が来たわけでもないし、今考えてもどうなるものでもないのはわかってるけど、不安で悲しくてどうしようもなくて。
荒れた。


翌日、もっていきようのない不安を抱え、事業所で福祉士さんに話を聞いてもらったところ、「私が間に入りましょう」と言ってくださった。
そしてすぐに年金事務所に電話し、もし今後何か私に連絡したいときは、まず福祉士さんに一報入れるという約束を取り付けてくださった。
電話が恐怖の対象である私にとって、それはとても大きな助けとなる。
少しでも私が心穏やかに過ごせるようにという、彼女の細やかな気遣いが嬉しい。



  別れのクローバー

なんだかんだと障害年金受給の道のりは厳しいけど、「もうヤダ~ッ!」と投げ出さずに粘っていこう。
 

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| 障害者手帳と障害年金 | COM(6) | | TB(0) | |
2018-06-09 (Sat)
先週末から、なんだかしょっちゅう泣いているような気がする。

障害年金の受給申請とは、なんてハードルが高いのだろう。
初めて心療内科を受診した日を証明できない私は、「第三者の申立書」2名以上に書いてもらう必要がある。
「その頃、かなさんは確かに受診していました」という趣旨の書類だ。
1枚は先週のブログ(「障害年金、崖っぷち⁉」)に書いたとおり、当時の同僚だった女性が快く引き受けてくれた。

あとひとり・・・

そのひとりがいない。
誰もいない。

だって、彼女以外に話していないのだから。
例外として、姉には話してたけど、家族である姉は第三者ではないから証明にはならないのだ。
年金事務所に掛け合ったところ、「では、お姉さんにも書いてもらってください。第三者ではありませんが、ないよりは・・・」とのこと。
そこでさっそく姉に連絡を取ったところ、あまり覚えていない様子。
それでも藁にもすがる思いでお願いした。



2名以上の「申立書」という条件をクリアすることができない。
受付はしてもらってるけど、審査の過程で却下される可能性がある。
大きな不安の中、自分の都合でたくさんの人の手を煩わせてしまっていることに強い罪悪感を覚え、涙が止まらない。

そんな私に、

「罪悪感なんて感じることはないですよ。
     『ありがとう』って感謝すればいいんです」


と福祉士さんが言ってくださった。


ありがとう。ありがとう。ありがとう。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。




ありがとうでいっぱいになると、少し心が軽くなった。
でも、やっぱり涙が止まらない。


今度は、うれし涙。




丸いピンク 



あの人に

みなさんに

ありがとう


| 障害者手帳と障害年金 | COM(8) | | TB(0) | |
2018-06-02 (Sat)
久しぶりに、睡眠薬の効果もなく眠れない夜を過ごした。




夜空



先日、3カ月かけて作成した
障害年金受給申請書類を携え、年金事務所へ行ってきた。
その前にクリニックに寄り先生に書いていただいた診断書を受け取って、福祉士さんに笑顔で見送られながら、私も「これで最後!」と意気込んで向かったのだけど・・・雲行きが怪しくなってきた。
結論から言えば、「書類不備だけど受理はします」という状態。

“初診日” の証明が不十分ということで、第三者に確かに受診したという「申立書」を記入してもらう必要があるらしい。
といっても、“初診日” は10年以上前、しかも別の病院なのでカルテも残っていない。
「友人で当時を知っている人はいませんか?」と言われたけど、私は表向きは “いつも笑顔のかなさん” でその演技は完璧なので、誰にも不調を気づかれることはない。
それよりも、
そもそも自閉症スペクトラムの私はその特性上、継続的に人間関係を保持するのが困難なのだ
一つの会社が終われば、人間関係も終わる。
その会社の同僚で唯一年賀状をやり取りしている人がいるけど、こんなことを頼めるほどの仲ではない。
「申立書」を書くということは責任を負うということなので、大きな負担をかけることになる。


・・・さんざん悩んだ結果、その同僚に打診してみることにした。
そうする以外、道はない。
3カ月の努力を、先生や福祉士さん達の想いを、最後の最後になって潰したくない。
久しぶりに連絡をとりお願いしてみると、「協力したいけど、書類を見てから判断する」とのこと。
ごもっとも。
むげに断らずにチャンスを与えてくれた彼女に感謝しよう。
 

「申立書」は本当は3人ほどに書いてもらいたいと言われたけど、無理。
どうなるのだろう。
不安で悲しくて、年金事務所で泣きそうになった。
でも、担当してくださった方も優しくて、とても協力的だった。




私はいつだって出会いに恵まれている。
だからきっと、なんとかなる!
そう信じよう。
 




流れ星






≪後日談≫
さっき、元同僚から「何とか書けそうです」とメールが来た。
ありがとう!!
もう、感謝の気持ちで胸がいっぱい☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


実はまだ問題が残ってるんだけど、これは明日福祉士さんに相談しよう。

大丈夫大丈夫。

| 障害者手帳と障害年金 | COM(6) | | TB(0) | |
2018-05-26 (Sat)
私の通う就労移行支援事業所は、主体性を重視したプログラムが組まれている。
資格取得の勉強、読書、パソコン等々、その時間は誰もが思い思いにやりたいことを学ぶ。

そんな中、私は先月から、Wordでのチラシ作りに挑戦している。

最初に挑戦したのが「ナチュラル ヨガ」レッスン開催チラシ
といっても、本当にレッスンがあるわけではなくて、“もし私がヨガレッスンを行うのなら” と勝手に妄想して作ってみただけ。
ちなみに「ナチュラルヨガ」という名前は、私のヨガをご覧になった所長が命名してくださった。



ナチュラルヨガチラシ 


illustratorやPhotoshopというソフトを使えないので、私なりのWordの限界に挑戦!
・・・でもやっぱり、お絵かきソフト欲しいなあ。




ちなみに今は、故郷にあるラベンダー園のチラシをまたまた勝手に作成中。
最近頭がぼんやりしていて集中力がないんだけど、この時間だけは意識が一点に集約していくようで心地いい。

来月からは、少しずつ就活に向けて動き始める予定。
ひとりの時間がとても大切で、まだ休日に友人と会うこともままならない私。
先の見えない不安と社会への恐怖が込み上げてくるけど、一歩一歩進んでいきたい。



| 就労移行支援事業所 | COM(6) | | TB(0) | |
2018-05-19 (Sat)
先日、就労移行支援事業所の訓練で、『天声人語』の書き写しをした。
専用の原稿用紙が用意されており、漏れなく書けば最後のマスでぴったり終わる。
書き始める前にスタッフさんから説明があった。
ホワイトボードにマスを5個書くと、上から順に「。」「、」「「」「」」「▼」と書き入れ、「このようにひとマス使ってください」とルールを解説。
みんなはこれだけ聞くと、すぐに書き写し始めた。
でも私はホワイトボードを見ながら頭の中が「???」で、書き出すことができなかった。
なぜなら、ボードに書かれた句読点の位置が、マスの右下だったからだ。


句読点① ・・・句読点が右下(ホワイトボード)


句読点の位置も、ホワイトボードに従わなくてはならないのか?
確か小学生の時、句読点は右上と習ったような気がする。


句読点② ・・・句読点は右上(と習ったような??)


でも今回は右下がルールなのだろうか?



完全に引っかかってしまった。

なぜみんなは気にならないのだろう?
素直に右下に書いているのだろうか?
それとも自分の書きやすい位置に書いているのだろうか?
でも、見本として示されたホワイトボードの位置は、右下だ。
いくら考えてもらちが明かないので、「すみません。句読点の位置なんですが・・・」とスタッフさんに聞いてみる。
すると「ああ、どこでもいいですよ」とのこと。

そうなの!?

そりゃまあ、目的は『天声人語』を書き写すことなのだから、句読点の位置が右上であろうと右下であろうとどっちでもいいのだろう。
スタッフさんも、まさかこんなところで引っかかるとは思いもせずに書かれたのだろう。
でも、こんなふうに引っかかるのが私なのだ。
細かいことが妙に気になって、あやふやなまま先に進むことができない。
正確なルールが知りたいのだ。
とにかく私は細かくてしつこい。
でも、気になるんだもの。

これも発達障害の特性なのか、それとも単なる神経質な性質なのか。
仲間たちは全く気にしてなかったから、後者なのかな?
今度はこんな疑問が頭を占領し始める。
一度引っかかると納得がいくまで何日も頭の中からこの “?” が消えてくれない。
そのまま一週間経ち、自分ではどうしようもなくて福祉士さんに聞いてみた。

「特性です!」

と明快な返答。
何かが気になるとそこから離れられなくなるという特性。
粘着質な固執性とでもいうのだろうか。
私はグレーゾーンの “ちょっぴり発達凸凹” のくせに、この特性は飛びぬけているらしい。

でも、解決してスッキリ(*^^)v 
きっとこの特性も “物は使いよう” で、何かに役立つんじゃないかなあ。
 

| 私の凸凹(特性) | COM(8) | | TB(0) | |
2018-05-12 (Sat)
GW中数日間帰省しておりましたが、
訪問、拍手してくださった皆さま、
ありがとうございました。




母が認知症の検査を受けたのは、一年半ほど前のことだった。
(過去ブログをご参照ください→「母娘そろってグレーゾーン~認知症と発達障害」

あの時の結果は「認知症予備軍~軽度認知症」という診断で、“ちょっぴり発達凸凹” の私と同じ「グレーゾーン」だなあと思ったのを覚えている。
でも母は私を置いて、ひとりで先へ先へと歩いていくようだ。
あれから実家に帰省するたびに認知症の症状が確実に進んでいるのを感じている。
特に今年のお正月に帰ったときは、母のあまりの物忘れの酷さや会話の不成立、スローモーションのような動きにショックを受けた。
だから今回も、帰省するのが少し不安だった。
母の認知症がどこまで進行しているのか、知るのが怖かった。



4カ月ぶりに会う母は、さらに動きがスローモーションになっていた。
炊事に何時間もかかるし同じ話を繰り返す。
想定内の進行具合だったけど、やっぱり心がざわざわ。
でも、受け止めていかなくてはならない。

私にはもう一つ、心配なことがあった。
それは認知症の母と一緒に暮らすのことだ。
父は、頭の回転が速くしっかり家を切り盛りしている母のことが大好きだった。
でも、その頃の母はもういない。
物理的にも精神的にも父に頼るようになった母を、ひとりで支える父。
父の心を思うと苦しくなる。

 
いろんな想いを抱え帰省してみると、両親はそれなりに生活していた。
父はへんてこな会話も辛抱強く向き合い、母に寄り添っていた。
敬老会や親しい友人たちとの交流が、いい気分転換になっているようだ。
人との交流を好まない母はほとんど家から出ることはないが、父からいろんな話を聞くのが楽しみなようだ。

夜、私がお風呂から上がると、居間から父と母の話し声が聞こえた。
母が楽しそうに笑い、父も嬉しそうに答える。
以前と何も変わらない日常がそこにはあった。
認知症になっても、夫婦の関係が変化しても、長年一緒に過ごした年月は強いきずなで二人を結び付けていた。
そんな日ばかりじゃないし、イラっとすることだってあるだろう。
そして、どんどん認知症は進行していく。
でも、離れて暮らす私にできることは、私自身がしっかり生きることくらいだ。
両親に恥じないように。



 
インコ夫婦

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