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2017-02-03 (Fri)
昨年もブログでちょっと触れたんだけど、以前勤めていたお寺の住職さんから聴いたお話を紹介しようと思う。
10カ月(実働7カ月)という短い間だったけど、住職さんはいろんなお話をしてくださった。
仏教にまつわるお話は難しく、しかも機嫌のいい時は1時間以上続くこともある。
みんなが話を聴くことを避ける中、仏教に興味があり人の話を聞くことが好きな私は、率先して聴き役に徹していた。
聴いている間は苦手な電話に出なくてもいい・・・そんな姑息な算段があったことも確かだけど。

そして、私がうつ病で退職する日も、住職さんはいつものようにお話をしてくださった。

「人はみんな曲がってる。
 自分は真っすぐで周りが曲がってるんだと思っていても、
 そんなあなたも曲がっている。
 そしてその曲がり方は人それぞれなので、
 そこにストレスを感じてしまうんだ。」

そして、住職さんは
「自分の曲がり方に人を合わせようとするからイライラする」とおっしゃった。

そのとき、私は思った。
私の場合は、相手の曲がり方を必死で見極めその曲がり方に合わせようとしてぐったりしてしまうのだと。


今思えば、“ちょっぴり発達凸凹” というちょっぴり変わった曲がり方をしている私が、健常者の曲がり方に合わそうとしていたのだから、そりゃあ大変だったろう。
そもそも健常者同士でも、相手の曲がり方にぴったり合わせるなんてことは不可能に違いない。
そして、ぴったり合わせる必要もないのだ。

人はみんな曲がってる。
それは誰が正解というものでもなく、どの曲がり方も尊重されるべきものだ。

住職さんのお話は、コミュニケーション論につながる思う。


より良いコミュニケーションとは・・・
「自分を無理に曲げない」+「相手の曲がり方を尊重する」


つまり、お互いの思いやりと歩み寄りが大切ってことなのかな。

頭ではわかってるんだけど、これがなかなか難しいんだよなあ・・・

 

コミュニケーション 


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